自分の手札を捨てる

 
 
年末に何となく、これまでの社会人人生について振り返っていた。
自分は転職を2回していて、これまでに3社(起業を除く)で働いたので、転職のたびに自分のキャリアについて考えて意思決定してきた。その意思決定の判断基準となったであろう自分の価値観を言語化してみたいと思う。
 
いくつかの記事に分けて散文的に書いていこうと思う。初回は「自分の手札を捨てる」ことについて書く。(2回目書くか不安)
 
 
👇 念の為のやつ
なお、謙遜ではなく、自分のキャリアについて参考にしてもらいたいという気持ちはあまりない。いわゆるジョブホッパーと呼ばれるような経歴だし、もともと経営者になりたいという思いがあったから、こういう意思決定になったということもあると思うので、万人にオススメできるとも思わない。
 
 
 
 

「自分の手札を捨てる」とは

まずは、自分の手札を捨てるとは捨てるとは、どういう意味で言っているのかを説明したい。
ここで言う「手札」というのは、自分のアピールポイントのようなものだと思ってもらってよい。例えば、「東大卒」「〇〇の資格を保有」「〇〇のスキル/経験がある」「某大企業出身」みたいなものである。
「手札を捨てる」というのは、自分のアピールポイントを活かして勝負をしないということである。具体的には、公認会計士の資格があるのに会計士にならないとか、未経験での別業界への転職とか、そういうものをイメージしている。
 
 

基本的には自分の手札で戦うべき

この記事は手札を捨てると言う文脈で書いている訳だが、基本的には自分の手札を活かして戦うべきだ。別にそれを否定したいわけではない。
 
一般的に、就職活動では、自分のアピールポイントをアピールして、そのアピールポイントが活かせる仕事に就くことが多いと思う。
このこと自体は全く問題がない。むしろ、自分の強みで戦わないとライバルに負けてしまうので、自分の強みを最大限活かして戦うべきだと思っている。
 
その前提を踏まえた上で、ここぞという場面では、自分の手札を投げ捨ててでも大胆にキャリアチェンジをすべきなのでは、という思いがあった。
 
 

コモディティ化、経験の幅の問題

まず、手持ちの手札で戦い続けると「コモディティ化」が起きやすい。
 
ChatGPTによると、コモディティ化というのは、
という意味らしい。
 
自分のスキルが活かせる環境には、基本的に同じスキルを持った人が集まっていることが多い。弁護士の周りには弁護士が多いし、エンジニアの周りにはエンジニアが多いといった具合に。
そういう環境に居続けることで、周りの人と同じようなスキル/経験がつくようになる。これはスキルを互いに高め合うという点においてメリットでもあるが、同時に「コモディティ化」が進むことにもなってしまう。
スキル/経験が「コモディティ化」した市場においては、自分の市場価値は相対的に下がりやすい。上記のChatGPTの説明のように、同じようなスキル/経験を持った人が多くいるので、買い叩かれやすいということになってしまう。
 
 
また、同じような話だが、経験の幅が広がりにくい。
 
これはつまり、
  • 自分の手札を活かした仕事に就く
  • 手札を活かして成果を出す
  • 成果をアピールする
  • さらに手札を活かすことを期待される
  • 自分の手札を活かした仕事に就く・・・
というループが回って、自分のやれることの幅が広がらないという現象である。
 
自分の専門領域でこの先も一生食っていくよ、という人には全く問題ないと思うのだが、自分の場合はスペシャリストよりもジェネラリストの方が向いているという自覚があったので、これはあまり良いことではない気がしていた。
 
 

手札を捨てて、未知の世界に飛び込む

上記のような問題が起きうるので、定期的に未知の領域に飛び込むことが重要だと思っている。そうすることで、自分の枠を広げることができて、自分のユニークさにもつながると思う。
 
未知の領域では、自分の手札が活かせるかどうかすら未知である。今の環境で活躍している自分のスキルが全く役に立たないかもしれない。
だが、それでも未知の世界に飛び込むことで、自分の枠は広がる。多くの人が恐怖を感じるような選択をするからこそ、自分のユニークさにつながる。
 
自分の場合、新卒で入ったコンサルを辞めて、未経験でデータアナリストに転職した。SQLやPythonを全く知らない状態から未知の世界に飛び込んで、何とかキャッチアップしていった。
コンサルにそのまま残っていれば、ある程度昇進して、ある程度の給料をもらえる未来は見えていた。だから、全く未知の世界に飛び込んで新卒同然の状態からスタートすることは、勿体無いという気持ちがあったし、恐怖も大きかったのを覚えている。
 
ただ、結果としては、ここで新たな領域で仕事を覚えていったことで、自分の枠が広がって、やりたい仕事を見つけることができた。
 
 

手札を捨てると手札が活きるという皮肉

また、自分でも予想していなかったこととして、「手札を捨てると手札が活きる」という皮肉めいたことが起きた。
 
コンサルにいた頃、コンサルでは論理的な思考体系や、PPT, Excelでの資料作成など、ビジネスで汎用的に役立つスキルを叩き込まれていた。上述したように、自分はこれらのスキルを一旦捨てるという選択をした。
しかし、データアナリストになってから、思考体系や資料作成のスキルはかなり役に立った。データ分析はSQLを書く以外にも、分析設計をしたり、分析結果をレポートにまとめたりする必要があるので、コンサルスキルとの相性がすこぶる良かった。
これが、「手札を捨てると手札が活きる」という体験談である。
 
 
これを抽象化して考えると、多くの場合に当てはまるのではと気づいた。
つまり、「手札が活きそうな環境では手札が活きづらく、一見手札が活きなさそうな環境で手札が活きる」ということである。これは実はよくあることなのではと思う。
コンサルにいた頃は、コンサルスキルを社内の全員が持っていて、ジュニアの自分は上司と比べるとスキル的に当然劣っているので、そのスキルで価値を出せることはあまりなかった。
ただ、コンサルを飛び出ることで、コンサルでは当たり前だったことが当たり前ではなくなるため、自分の資料作成のスキルが周りと比べて秀でているという状況になったのである。
 
これは、自分が実際に体験して初めて気づいたことだが、直感に反しているので良い気づきだったと思う。
 
 

バランスの取り方

「手札を活かすこと」「手札を捨てること」の両方が大事だという話をしてきた。
これはどっちかが大事ということではなく、どっちも大事である。「要はバランス」であり、発動すべきタイミングが異なっている。
 
基本的に、自分が周りよりも秀でている状況においては、「手札を活かすこと」を考えるべきだと思う。勝率が高い状況では、素直に戦った方がいい。ここで勝ちに行かないと、機会損失が大きくなってしまう。
一方で、自分と周りが同質化していき、勝率がイーブンになってきたら、「手札を捨てること」を考えても良いかもしれない。その環境では競争が激しくなっているので、これ以上努力しても楽に勝てるようにはならない可能性が高い。
 
「両利きの経営」や「イノベーションのジレンマ」などでも言われているように、成長のライフサイクルに応じて、多層的に成長構造を設計していく必要がある。
 
 

まとめ

言語化してみて、改めて、定期的に未知の世界に飛び込むという経験は大事だと思い直した。仕事でもそうだし、プライベートでも新しい経験をしていきたい。
 
あと、全く内容に関係ないけど、自分が何となく思っていたことを言語化するというのはとても気持ちがいい。マッサージみたいなものかもしれない。
 
 
おわり